お盆に賑わう焼尻島、「帰る場所を維持する」ための地域おこしがあっても良いのかもしれないと思った話

いつもお世話になっております。

北海道在住ですが、プロ野球はオリックスファンのおっくんです。

今はいい時代になりまして、インターネットのおかげで、地元・関西でも影の薄い存在のオリックスを応援できるわけですから素敵ですね。

おそらく島内唯一のオリックスファンだと思います。(確認はしていませんが)

最近、島の羊にもオリックスの魅力を伝えようとしましたが、風が強くて断念しました。(というか無視されました)

とにかく、今年のオリックスは例年に無い快進撃なので、北の離島から応援し続けようと思います。

 一緒にオリックス応援しようぜ!

ごめんなさい。

以下、本題です。

 

 

 

最近は今後について考える機会が多いです
 

さて、どうでもいい話をしてしまいましたが、現在の焼尻島は観光シーズンを終え、最近はすっかり秋めいてきました。

先日は羽幌より役場各課の代表の方々が来島されての町政懇談会が行われました。今日は町議会の方々が来島されての視察や懇親会が行われています。

僕は移住者であり、若手であり、島唯一の地域おこし協力隊なので、それなりにコアな立場として色々な意見を提供できるよう努めています。

そして、そういった場で必ずと言って良いほど話題になるのが、人口減少問題と今後についての話。

羽幌町全体で見たとき、焼尻島のことをどこまで考えられるか……という、非常に現実的な話題です。

 

 
人が減りゆく現状を目の当たりにする日々
 

 

過疎化だ高齢化だと言われる焼尻島。お隣・天売島と比べると若い夫婦が少なく、天売島は小・中・高校と生徒がいるのに対し、焼尻島は小学生が1人いるだけなのが現状です。

僕が移住して以降も、238人いた人口が8ヶ月間で21人も減りました。

過去10年を見ても、毎年10~20人が減っていく……という数字が出ています。

僕なんかはたかだか8ヶ月住んだだけですが、当事者意識が芽生えつつあるのか、「今後どう生きていくのか」をより強く考えるようになりました。


ドライな言いかたをすれば、日本全体で見て団塊の世代の人口増加率が異常だっただけで、これから人口が減っていくのは当然の話。

過疎化はごくごく自然の流れであり、そこにあえて手を加え、地域おこしだ、活性化だというのは野暮な話なのかもしれません。

実は、自分の中でもその部分に対しての結論はなく、たまたま「自分のやりたいことが島ならできるかも?」と感じたから、地域おこし協力隊に応募したのが当時の本音です。

ただ、実際に住んでみると、やはり色々な現実を目の当たりにします。

 人口推移2

 
それでもお盆にはたくさんの人たちが帰ってくる
 

ところが、お盆の時期を乗り越え、少し考えかたが変わりました。

と言うのもこのお盆、自分が想像していた以上に、たくさんの“島関係者”が“帰ってきた”からです。

それこそ、僕と同じくらい、もしくは僕よりも若い世代もよく見かけました。もう、「こんなにも島に関わる人がいたのか」というほど。

普段はのんびりしている(?)ような人でさえ、「この時期ばかりは忙しいの!」といった様子で、みんな忙しく、懐かしげに過ごしていました。

日ごろ島の人たちに良くしてもらっている僕ですが、あくまで僕は移住者。この時期ばかりは逆にぽつんと寂しい気持ちになったのも事実です。(笑)

人が出たり入ったり

……がしかし、だからこそ、お盆の焼尻島の活気には度肝を抜かれました。

8月1日を過ぎたあたりから目に見えて人が増え始め、13日~15日の船1日6便体制の時には、それこそひっきりなしに人が出入りしていました。

それもそのはず、かつてのニシン漁が盛んだったころは2,600人以上もの人口を数えたそうですから、今の10倍以上もの人が住んでいたことになります。(すげー)

そして、お盆に帰ってくる人の多さ。目の当たりにするとやはり驚きました。

対して、関西の下町育ちの僕はあまり「お盆に帰省する」という概念がなく、お盆と言っても「サラリーマンの束の間の休日」という程度の認識。

高い出費を覚悟しつつ、どこか旅行に出かける……というのが、これまでのお盆の常だったので。

昔からの関係性を感じました。

 
帰る場所があるっていうのはイイもんだなぁ~
 

ただ、改めて考えてみると、(改めて考えるまでもなく)お盆=サラリーマンの束の間の休日ではありませんよね。

 

意味を調べてみると、

お盆(おぼん)は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。
一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる。

参考
wikipedia:お盆
 

……とあるように、本来は「祖先の霊を祀る一連の行事」と考えたほうが自然ですね。焼尻島でも同じことで、ただ単純に帰ってくるわけではなく、みんな島のお寺近くにあるお墓まで墓参り行くという目的があるわけです。普段は静かなお寺周辺もお盆ばかりは人が行き交いしてましたし、僕も島でお世話になっている奥様に連れられてお墓参りをさせていただきました。(ご先祖様は「コイツ誰やねん!」って思ったでしょうが。笑)

の縁もないのにお墓参りをさせていただくのは不思議な感覚でしたが、いつも以上に島の空気を感じられた気がします。

社会的にお盆の文化が薄れてきたのか、僕自身の勉強不足なのかはともかく、至極当然のことを今回改めて学べた気がしました。(事実、僕はお盆だからという理由で実家へ帰ろうとは思わなかったです。)

ご先祖様「え、この人誰?」

焼尻島に限らず、お盆に賑わう地方は多いと思います。単純に言い切れないと思いますが、やはり、帰省する人が圧倒的に多いがゆえでしょう。

いやー、細かい理屈を抜きに、帰る場所があるっていうのはイイもんだなぁ~と感じます。

お盆に実家へ帰省していない僕が言うと、なんとも説得力に欠きますが。笑

でも本当にそう思いました。

 

>過疎化はごくごく自然の流れであり、そこにあえて手を加え、地域おこしだ、活性化だというのは野暮な話

この文章の冒頭ではこう述べましたが、今は価値観が少し変わりました。

焼尻島は島を離れて暮らす人にとって大切な「帰る場所」であるのは明白なわけで、その場所を維持するという点ではひとつ意味があるのかもしれませんね。

テープでお別れ。「また来年」


僕自身、「島のために」というほどの余裕はなく、自分のことで精一杯な日々が続いています。

ただ、自分のことを精一杯取り組み、その結果が「島のために」なるのであれば、これほど有意義なことはありません。

……いや、これは何かしら結果を出してから言ったほうがカッコイイ台詞ですね。。

 

とにもかくにも素敵なお盆でした。

頑張ります。

いい感じ

Follow me!

お盆に賑わう焼尻島、「帰る場所を維持する」ための地域おこしがあっても良いのかもしれないと思った話” に対して1件のコメントがあります。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です