協力隊2年目を迎えたけども、北海道の島で生きるための活動はまだまだこれからなワケで。
北海道ナナメウエの島からこんにちは。
羽幌町地域おこし協力隊・焼尻地区担当のおっくんです。
「こんにちは」というか「あけましておめでとうございます」。
せっかくなので、羽幌町の地域おこし協力隊3人で撮影した写真を載せておきます。
顔が見たい?
顔が見たい人は、今月から立ち上げた羽幌町地域おこし協力隊のFacebookアカウントにいいね!してください。(宣伝 笑)
僕は1月7日に島に戻る予定でしたが、3日連続で船が欠航。
ようやく島に戻ったときはもはや正月感ゼロでした。
しかししかし、1月を迎えたということは、僕も協力隊2年目を迎えたということです。
えらいこっちゃ。
さて、振り返ると1年はあっという間でした。去年は右も左もわからない……なんて言いながら、それでも忙しくさせて頂きました。言うなれば、なんでも屋。イベントの運営やら、役場仕事のお手伝いやら。地域のみなさんの頼まれごとも、それなりに。。
それはそれはやりがいのある1年でしたが、そう言ってられるのは協力隊として活動報酬を頂いているから、です。
もし仮に今、活動報酬がなくなれば?
いやぁ、もう穏やかじゃないッス。
その仕事だけやってたって、任期後にメシ食えないっすもん。
イベントで、ネット使って広告を打ちました。
お祭りのTシャツのデザインを担当しました。
島のおばあちゃん家の機械をなおしました。
ちょっと思い出すだけでも、僕だからできたことを色々やりました。
こうしてお仕事を任せていただけるのは凄くありがたい。数少ない若手として頼っていただけるのは凄くありがたい。
でも、それだけじゃ、ダメなんです。
島内配布の新聞作ってます。コレでメシが食えたら良いんやけど。。笑
「任期後に食えてなきゃダメ」。じゃあ、食える仕事ってなに?
それを考えると、実はそんなにない。というか「島にいたって仕事なんかねぇからな」って言われる。
あえて言うなら漁師くらい。
でも、その漁師だって新規就労のためのサポートが充実しているとは言い難い。
旅館や民宿は?
「昔はお客さんたくさん来たんだけど、今は全然だぁ」なんて声はしょっちゅう聞くけど。。
観光案内は?
「できないことはないけど、観光ったってせいぜい6~9月しか客来ねぇしな」……たしかに。
どこかに就職する?
最初から普通に就職するつもりだったら、そもそも地元を離れてません。笑
……ってなカンジで、できない方向の理由はいくらでも見つかる。長く島に住んでる人の言葉だから、なおさら重い。「できないことはできない」って素直に納得すべき?
でもそれやったら、わざわざ都会から移住した意味ってなんなんやろね。
何かの可能性に賭けるしかない。
この島の人たちが出来なかったことを「やれる」と思ってやるしかない。
2年目、そんな無理難題に挑みます。
勝負の年なのです。
そして今さらですが、「冬の島はやることがない」と言われます。
いや、もちろん協力隊なので、本当はやるべきこといっぱいです。予定もいっぱいです。夏に向けたイベント準備や、自分自身のやりたいことのために時間を使ってます。
……が、協力隊任期後、「冬に何をして食うか」は見えていません。
現状、冬は島の主産業である漁業従事者、いわゆる漁師さんと、公的機関に働く人しか働いていません。冬になると島を離れ、雪が溶けたらまた戻ってくる人も多い島。「冬はやることがない」のです。
僕の場合、今のところは「漁師」という選択肢も、「仕方なくどこかに勤める」という選択肢もありません。起業、もしくは自分のやりたいことに直結する方向への転職を考えています。
ただ、そうするにしては知らないことが多すぎる。「食えるようになるまでの知識と実践を身につけること」が必須だと感じています。2年目以降はそういう時間の使い方に重きを置きたいです。
もちろん協力隊である以上、「厳しい状況をなんとかしてこそ協力隊だ」という気持ちが大きいです。
しかし2年目を迎え、「実際問題どうしよう」という模索の気持ち、「任期後は大丈夫かな」という不安の気持ちが芽生え始めたのも事実。すべての可能性を考慮しながら、具体的に動いていかなくてはならない場面を迎えているワケです。
じゃあ、具体的に何をするか。
それはおいおいブログで書いていくつもりです。
それでも何かしら可能性があると思ったので、島に移住しました。はい。
焼尻島は、もともとニシンの絶好の漁場。それを目当てとした東北・北陸地方の漁師が移住し、今に至っています。
なので焼尻島の場合は、北海道でありながら秋田訛りのじいちゃんばあちゃんが多かったりします。
ところが、昭和30年になり、全道的に(北海道全体的に)ニシンが獲れなくなると、2000人を超していた焼尻島の人口も減少傾向に転じました。
今では216人。
ニシンありきだった島がニシンを失えば、人口減少に転じるのは当然でしょう。
けれども、おそらくそれをなんとかするために協力隊が募集され、たまたま僕が着任しました。
「島を活性化する」と言っても、何をもって活性化するのか、そもそもこの島をどうしたいのか、そんな指針も見当たりません。
それだけに踏んばっていくための模索が必要とされています。いや、模索だけじゃなくて、具体的な実践も。
僕自身、何から手をつければ良いのかわかりませんが、任期中は可能な限り足掻いてみるのが務めだと思っています。
ただ!
……重たい雰囲気で散々書いておいて、最後にこんなコトを言うのもなんですが(笑)、このような場所を舞台に働けるのは凄く刺激的で面白かったりもします。
小さな島からでも、本当に色んなモノが見えるので。
なかなかこんな人生を送れる人はいないとさえ思ってます。マジです。笑
本当、島で生きるって面白い。(……なんて、ブログのタイトルに回帰してみる)
あ、たまにはノリの軽い日記も書きます。
すんません。