島歴1年目の僕とお年寄りが減っていく島の、ちょっと刺激的な話
「細かい部分は違えど、どの地域だって同じ」
「大変なのは自分のところだけじゃない」
……と思って書くのを自重していましたが、“感じたことをそのまま書くことも大事かな?”と思ったので書きます。
そんな日記でゴザイマスので、ちょっと生々しい内容です。
あらかじめご了承ください(・Д・)ノ
何度か述べていますが、僕は協力隊の業務として週1回程度デイサービスに通っています。
前回の日記で述べたアンケート配布活動では島内の各家庭に赴きました。
ここ数日は、支所で請け負っている島内の送迎サービスを、人手の関係でお手伝いさせて頂きました。
これら、一見共通しない活動ですが、実はすべて島のお年寄りと接する機会になりました。
すると、「わっちら12月になったら島を出るから」なんて話をちらほら聞くわけです。
冬の焼尻島……、
- 海は荒れ、船の欠航率が格段に向上
- 雪がたくさん降り、除雪が大変
- 島の外周道路半分が通行止め
- 畑仕事ができず、高い野菜を買うハメに
- 必然的に部屋に閉じこもる時間が増加
……ということで、船以外は道内のどの地域も似たようなものですが、正直普通に生活するのはかなり厳しい。
そのため、「冬の期間は島を離れる」という人がけっこういるのです。
冬のある日
んで最近、デイサービスで良くしてもらっていたじいちゃん、ばあちゃんがそれぞれ島を離れることになったと聞きました。島外の施設へ移る、息子・娘家族と一緒に暮らす……ということになるそうです。
「札幌さ出たって何もしねぇでボケていくだけだぁ」
「なんだかんだで島が一番居心地良いんだからよ」
なんて言ってた人たちだけに、寂しさはけっこうなものですが、とは言え、お年寄りのひとり暮し、ふたり暮らしがゆるくない(ラクじゃない)のもまた事実。本人のためを思うと仕方がないことです。
島を戻ってくる予定の人もいれば、そうでない人も。
僕は焼尻島に移住して11ヶ月目を迎えましたが、今年だけでも23人減りました。11月現在、人口215人。なんとも形容しがたい危機感があります。
焼尻島には診療所があり、僕もごくたまに島内の送迎サービスのお手伝いで、運転手としてお年寄りを診療所へ送迎しています。
ちらっと聞いたのは、「人口200人がひとつのボーダーらしい」ということ。
つまり、僻地医療として診療所を設置するにしても、人口200人が設置するかしないかのひとつの目安だということです。
どんな田舎であれ、陸繋がりならまだなんとかなりそうですが、島だと船を待つかヘリコプターが飛ぶか。厳しい話です。
だから、お年寄りにはずっと島にいてほしいな……と無責任に思うものの、「残ってくれ」と言える立場でもありません。
そもそも、僕だって協力隊の任期を終えても残りたいと思って活動していますが、「死ぬまで焼尻でやっていく」イメージは全くないし、今後のことなんて何もわからないのです。
仮に診療所がなくなれば、お年寄りが尚さら島の外へ出ていくでしょうし、さらに人口減少に拍車が掛かれば、採算の合わないものはドンドン削ぎ落とされていくように思います。
僕はもともと、観光業への興味・実践希望から焼尻島を訪れたワケですが、協力隊の仕事の一環(島に慣れていく意味)としてデイサービスに通っている背景があります。
おかげさまで最近は、いろんなじいちゃんばあちゃんの家に招いていただき、毎回のように手土産を持たせていただくほどに。
顔が売れてきたと実感しています。本当にありがたいです。
いつもありがとうございます。
しかしお年寄りに「わざわざ遠く(兵庫県)からよく島に来てくれたねぇ」と言われれば、責任とか重みを感じてしまうのも事実。
先月28歳になりましたが、それでも島では5~6番目に若いほどお年寄りが圧倒的に多い島なので、いち島民としても社会福祉方面は無視できません。
なにせ社会福祉方面は専門外の僕でさえ、お年寄りのお手伝いはいろいろとこなしています。色々と頼りにしてもらえるのは嬉しい限りです。
「年寄りが多い島だからおっくんみたいな人がずっといてくれると助かる」なんて、面と向かって言ってもらえるので、島のデイサービスに通う意義も大いに感じています。
ただ、社会福祉方面にも若手が必要なわけで、その期待の矛先が僕に向いている実感もあるので、そういう諸々がミゾオチにズシンと響いていたりする最近です。
さらにデリケートな話題、お年寄りが減っていく……近い将来の人口減少は目に見えてますが、若い人が増えていく……近い将来の人口増加はまだ不透明です。不透明というか、かなり厳しい。
社会福祉はお年寄りがいるからこそ成り立っています。なので、島においても必要な仕事であることは言うまでもありません。
しかし、お年寄りが減るところまで減れば、必要なくなるだろう仕事でもあります。だからむつかしい。
お年寄りが僕に言う「わざわざ遠くからよく島に」はまさにその通り。
僕の場合は、「過疎の島での経験が自分の将来性を高める気がする」という期待があってこそだけど、島の福祉において将来性を求めるのは酷かもしれないな……と思う部分もあったりします。必要とされる仕事ではあるけれど、「その場しのぎ」でしかないから。
社会福祉の仕事と同時進行で、島の将来と自分の将来に期待を持てる“何か”がないと、わざわざ福祉の仕事を求めてこの島へやってくるモノ好きは居ないような気がするワケです。
その“何か”は人それぞれ。
- 島に住めば稼げる
- 島に住めば都会では味わえない美味しいものが日常的に食べられる
- 島に住めば普通の人が味わえない経験ができる
- (島の独身男性にとって)社会福祉の仕事に嫁を迎え入れられる
- 島をあらゆるお年寄りが気軽に暮らせる社会福祉の島にしたい
で、僕の場合は……「過疎の島での経験が自分の将来性を高める気がする」という好奇心(詳しく語れば長くなる)です。
たまたま、今直面している社会福祉を例にしましたが、島を維持するためには受け皿の整備が不可欠。
どんな仕事分野であれ、わざわざ島を訪れて住むだけのメリットが提案できないと厳しい気がします。
過疎高齢の地域ほど、「人手が足りない。だからウチに来て!」という単調な求人が目立ちますが、その程度ではよそ者が入ってくるほど魅力もない……かと。
“当人のやりたいこと”と“受け入れ先でできること”のマッチングがなければ、ただただ不幸かつ無駄な結果に終わるはずです。
焼尻に住んでいても、社会福祉関係の人手不足を実感していますが、これからどうなっていくのか。どうすべきなのか。
デイサービスに通ってお年寄りと親しくし、「島のために頑張ってね」と言われるようになった僕だからこそ、きちんと向き合うべき話題だなと感じています。
あくまで観光方面で頑張っていきたい僕ですが、できる範囲で何かできればと思っています。
デイサービスでの一コマ(春頃)
明るくない話ばかり展開しましたが、まったく希望がないとはまったく思っていません。
最近は数少ない島民若手が集まり、「島の今後」についてあれこれ話し合う機会が増え、個人的にはそれが面白かったりします。
おそらく島としてもギリギリの部分で踏みとどまり、転換を図っていく機会を迎えたように思います。
そういう意味では、過疎高齢地の最先端を体感しているとも感じるワケです。
いろんな方面に思考を向けるので正直シンドイ。
自分のやりたいことに向き合う時間も減るし。
島としての取り組みの一部を担うことはあっても、協力隊個人として実績を残せてはいないし。
でも、なかなか刺激的。
悪くない。
あとは、島内外で仲間がもっと増えればなぁ……と。