【協力隊の副業】1年7ヶ月目の変化。焼尻島の出面仕事に参加したらいろいろあった。
8月も11日になりました。
高校野球たけなわですねー。
高校時代は甲子園球場を通学路にしながら野球部の練習に行き、大学時代はその甲子園球場で警備やら新聞記者のお手伝いやらのバイトをして過ごし、、、と、甲子園が身近すぎる生活を送っていましたが、今や別の国のごとく遠くの存在になりました。
久々に甲子園で高校野球見たいなー。……と思いつつ、
ここ数日は取材対応をしたり、年に一度の『焼尻めん羊まつり』のスタッフとして活動したり、所属している一般社団法人やぎしり振興計画の来客対応をしたり……。
なんやかんや予定が目白押しでした。
そろそろひと息つきたいところですが、今後もそれなりに予定があります。。ありがたいことですね。
出面仕事に参加していました
6月半ばより、上で述べた仕事と同時進行で出面仕事に参加しています。
出面とは、辞書を引用すれば
建築などの現場に出た,大工・左官など職種別労働者の一日当たりの人数。また,その労働者に支払われる日当。
とあります。
その意味から、島では「漁業仕事の日雇いアルバイト=出面」という位置づけで呼ばれています。
僕が参加しているのは、“ウニ”と“ナマコ”の作業。それぞれ以下のとおりです。
①ウニの運搬作業
朝8:30~10:00ごろに開始、2時間程度の仕事。
西浦漁港で水揚げされたウニを東浜漁港の荷捌き所まで運搬する作業です。獲ってきたウニを運ぶのが困難なお年寄りの漁師さんの手助けになります。
②ナマコの内臓処理、ボイル、塩蔵工程での作業
昼13:30~15:30ごろに開始、短ければ2時間、長い日は8時間程度の仕事。
水揚げされたナマコの腹を割き、内臓を絞り出してボイル、塩蔵までの工程を流れ作業で行います。
ナマコすら触れない僕でしたが、平気で腹を割けるようになりました。なってしまいました。
ちなみに、羽幌町も当初は協力隊業務の傍らでの副業が禁止されていたものの、任期後の収入源の確保の必要性から、役場担当課の計らいで副業許可を頂きました。
羽幌町の協力隊業務は週29時間の勤務。本業に支障が出るほど体力へ負担を強いることは厳禁ですが、勤務時間を週29時間に収める点を守れば自由度が高く、それ以外の時間を出面仕事に充てることができました。
このあたりはとてもやりやすかったです。
協力隊の副業として出面仕事に参加する意味
出面仕事は、僕的には初めての副業(副収入源)です。出面仕事に参加する意図はいろいろありましたが、ざっくり挙げれば
- 島の主産業をできる範囲で体感したい
- 協力隊業務以外で“稼ぐ感覚”を身に着けたい
- 少しばかりの貯金が欲しい
……ってトコでした。
焼尻島で協力隊という立場は僕一人だけ。1年半以上も続けていると、数少ない島民の間でも僕の存在をそれなりに認知して頂けていると思うのですが、一方で、“表面的な存在感で頭打ち”になっている感覚がありました。
たとえば僕は、任期1年目のころによく通っていたデイサービスのお年寄り方々や、その他プライベートでも接点のある同世代の島民とは気軽に喋れます。
しかし、日ごろ接点のない漁師さんや普段お見かけしない奥様がたは、いざ一緒になっても共通の話題は見つからないし、こちらから話しかけようにも緊張する。
もちろん、すれ違えば挨拶はするし、「おっくん」なんてあだ名で呼んでもらえたりもするのですが、もう一歩、何かできればな……と思っていました。
特に僕の場合、最近は一人で黙々とパソコン仕事をしたり、焼尻としては珍しい徒歩での観光案内を始めたり。
基本的に“多くの島民の方々の知りえない部分”を仕事にしちゃっています。
任期2年目にして「おっくんっていつも何やってるの?」と聞かれるのは、そういう部分での接点の少なさも、ひとつ原因のような気がしていました。だからこそ、島民の多くが関わっている産業である漁業に、少しでも関わりたかったのです。
……で、働いてみてどうよ?
ウニ作業、ナマコ作業の詳細については、後日どこかでブログ記事にするとします(u_u) たぶん
それぞれやってみて感じたのは「時間管理の難しさ」。
ウニ作業にしろ、ナマコ作業にしろ、自然が相手なので、凪が良ければやる。凪が良くなければやらない。……というシンプルなものです。
出面の僕にとっては早朝、磯舟が出ていればその日はウニのお仕事ですし、ナマコの船が出ていればその日はナマコのお仕事です。場合によっては朝はウニ漁、ウニ漁が終わればナマコ漁なんてダブルヘッダーの日もありますし、逆に天気が悪ければ両方無い日もあります。
なので、時間管理は難しかった。
7月半ばに一度だけ了承を得て出張へ出ましたが、基本的に出面仕事でお金を頂く身でしたので、そこには責任が伴います。よほどの予定が無い限り、島から出にくい季節だと言えるでしょう。
それこそ、出面にとっては雇用主にあたる漁師さんはもっと神経を使うはず。うかつに休んだその日が、年に1度の大漁になる可能性だってあるのです。
漁師さんが日々口にしていることの意味が、実感値をもって理解できました。
ウニ作業にせよ、ナマコ作業にせよ、「聞く」「見る」より、「やる」ほうが、よっぽど自分にとっては有意義です。
協力隊という立場で島を語る以上、何事も自分の身体で体感しているほうが説得力に増すのは言うまでもないですよね。
漁師さんたちに話しかけられるようになった。
そして、自分の中での大きな変化は、日常生活で漁師さんたちに話しかけてもらえる機会が目に見えて増えたこと。
これは、他地域から焼尻島に移住した自分だからこそ感じられる、些細だけど確かな変化です。
「オメェ、胴付きより合羽のほうが動きやすいんでねぇか?」
「何よ、出面なんかして役場さクビになったべか?」
「ナマコの内臓のこれ食ってみれ?ウニみたいな味がするからよ」
……みたいな。笑
今までは「島の勉強」と言いつつ、つかず離れずの距離から写真を撮ったり、他人行儀なカンジでインタビューするのが関の山でした。
それを思えば、体感測ながら以前と比べて距離が縮まった気がします。
協力隊というポジションゆえ、焼尻島の中でもどこか異質な存在だと自覚していましたが、だからこそ同じ空間で仕事をこなすことが重要なのかも知れません。
200人弱という人口規模の焼尻島だと、なおさらに。
報酬は翌月上旬に手渡し!
ってな具合で、協力隊2年目の夏は出面仕事に汗流し中です。( ̄ω ̄ )
報酬は翌月25日、口座振込み……が当たり前だった僕には新鮮な封筒手渡し。(!)月末締めされたものが、1週間しないうちに手渡しされるので、若干テンションあがります。笑
明細はこんなカンジ。
①6月ウニ作業(出勤日数…4日)
ウニ作業は日当2850円。出面仕事でひと汗流してから協力隊として出勤というスタイルをとりました。
だいたい実働2時間ですから、時給換算しても、都市部のちょっと割の良いバイト並みの金額です。こういった田舎のお仕事としては破格ですが、公募せずに地域住民でまかなう出面ならではの特権かも知れません。
②7月ナマコ作業(出勤日数…17日)
ナマコの作業量はその日の水揚げや工程に左右されます。ですので、勤務時間が1.5時間の日もあれば8時間超の日もありました。
時給は1700円。協力隊業務を優先させるべき日がいくつかあったので、それなりに“お休み”や“出勤時間変更”を頂いたものの、人手不足ゆえなんやかんやの17日出勤。約13万円のお金になっています。
協力隊としての手取りが16万弱ですから、どちらもけっこうな足しになりました。
協力隊はボーナスがないので、世間がボーナスボーナスと騒ぎ始める時期に話題に乗れない歯がゆさもあるのですが、今年はそんな劣等感に一矢報いることができた気がします。笑
漁師さんたちに「稼いだねぇ~」って言われる。
後日談ですが、漁師さんたちは出面仕事の報酬(出面賃)に察しが付いているらしく、最近やたら「稼いだねぇ~」と言われます。
「いやいやいや、あなた方はその出面を何人雇ってるのよ!?」ってカンジですが、やたら「稼いだねぇ~」と言われます。笑
ただ、これはあくまで副業。
協力隊の副業としてはとても大きい金額だけど、任期後の月収とするにはやや頼りない金額です。物凄く割は良いんですけどね。これを踏まえて、夏の生活をどう組み立てていくか。
色々とアイデアはありますが、それを試せるのは来年が最後です。
やー、考えることよーけありすぎてかなんなーヽ(´ー`)ノ
ついさっきも、とある漁師さんに「来年も頼むよ」と言われました。
頼って頂けることはありがたい、けれど……?